環金武湾帆掛けサバニレース

レースに関する詳細はこちらからどうぞ。

沖縄の伝統帆漕漁船「帆掛けサバニ」

帆掛けサバニは、琉球列島の漁業従事者に古くから使われていた漁船の名称で、戦後エンジンが急速に普及する以前は帆掛けの艤装で縦横無尽に海を駆け巡っていました。そのセーリングメカニズムは、マストの前後傾が可能である事、フルバテンのセールを持っていた事、各バテンから延びた縄によってセールの形状の微調整が可能である事等、極めて洗練された高度な物であった事が分かっており、今日の西洋のヨットと比べても引けを取らない日本オリジナルの帆走技術・文化だったとも言えます。

1995年に初刊が発行された「沖縄の舟サバニ(白石勝彦著)」に触発される事によって生まれたサバニを残そうとする活動は、やがてサバニによるレースという形で普及し始めました。

さらに今では年間4回にまで増えたレースイベントの為に、古い船が修理されて甦ったり、また新しく帆掛けサバニが造船される等、琉球の素晴しい造船・帆漕技術の次世代への伝承に向けた新たな動きも見られる様になって来ています。



サバニ帆漕レース

2000年に開催された沖縄サミットを記念して行なわれたサバニ帆漕レース。炎天下の外洋を帆と櫓だけで渡りきるレースの過酷さが話題を呼び、またフィニッシュ後の何物にも代え難い充足感からか、近年では毎年約40艇が参加しています。

「座間味は、古くは琉球と中国との貿易の中継拠点であり、中国への航海自体が危険で命がけでもあった当時は、往路は見送りの人たちに応えるべく身に纏った正装を長距離航海向けの衣服に着替える場所であり、復路においては無事の帰還をいち早く首里に伝える為に狼煙を上げる場所でもありました。

一方、第二次世界大戦では米軍が最初に上陸した島でもあり、多くの犠牲者を生んだばかりか、中国との交易時代には平和を象徴していた那覇までの航路が、沖縄本島への侵攻の道になってしまったのです。座間味〜那覇間で行なうサバニ帆漕レースは、その航路を再び平和の道に戻すと言う意味も併せ持っているんです。(サバニ帆漕レース実行委員会の某氏談)」

2013年のレースの模様はこちらからどうぞ。



私たちについて

琉球大学理学部海洋学科卒の同級生である40代も既に後半に突入した4人のメンバーとその友人、神奈川県三浦市に拠点を置くディンギーセーリングクラブ”剣崎ヨットクラブ“のセーラー、そして現役の琉球大学自然科学学科の学生達...。

チーム綾風(あやかじ)は、地域という横の広がりや世代という縦の広がりが特徴の、帆掛けサバニ帆漕チームです。

チーム創設時の中心メンバーが石垣島のチーム「うなぢゅら」に弟子入りしたのが2006年の事。帆掛けサバニ文化を彼らから教わった恩を忘れない様に、引き続き「八重山山原東京混成古式琉球鱶船帆漕団」を旗印にしつつ活動を続けています。

現在の保有艇「綾風(あやかじ)」は、活動の主旨を理解し応援して下さる名護のとある方から譲り受けた貴重なサバニ。古宇利島で使われていたというその船齢はおよそ55歳になります。
ところどころ隙間も生じ、船底の一部が腐りはじめていた綾風に対して、惜しみない手間と愛情を注いで修理を引き受けてくれたのは同じく帆掛けサバニを愛する家族チーム「順風」の皆様。彼らによる奇跡のレストアを経て無事に数十年ぶりに綾風は海に浮かびました。

綾風の初レース、2009年6月のサバニ帆漕レースは、約7時間という長丁場をアウトリガーなしで一度も沈をする事も無く、また最高の伴走艇「SeaFox」号のサポートによって制限時間内に完漕すると言う、残念ながら最下位という結果に終わったものの参加者皆の心に残るものになりました。

この様に様々な人々に支えられているチーム綾風ですが、まだまだ帆掛けサバニの性能をフルに引き出して乗りこなすまでには至っていません。が、アウトリガー無し、固定舵も無しという帆掛けサバニ本来の姿にこだわり、少しでも先人の技術に近づきたいとの思いを胸に、2009年12月からは宜野座村にホームポートを移して練習をしています。